( 2013年3月大宴海5(ワンピオンリー)のペーパーに書いたSS。
「できてないゾロサンSSペーパー」が標題だったけど、
「できてない」は語弊があったかも。 )


『君を見てると 反則したくなっちゃう』
2013.3.31


 自分が油断していたことを、おそらく認めねばなるまい。
 ゾロはその時、久方ぶりにサニー号のダイニングでまともに摂る朝食に、すっかり気を取られていた。半分燃えていて半分吹雪いていたおかしな島を全速力で後にしてから一晩、追っ手を心配して夜を明かした連中もいるようだがゾロの安眠を妨げるような敵の気配は現れもせず、予定通りに皆で朝刊を確かめたあとである。
 なにしろ穏やかな航路などというものを選び取りさえしないこの船で、作戦会議を兼ねるとはいえ全員が顔を揃えてゆっくり朝食を食べるというのもいったい何時ぶりなのか、思い出せないほどだ。再結集してから初めてではないかと思うが、もしかしたら自分が寝過ごしているだけで他の面子にとってはそうでもないのかもしれないので断言はしないでおくべきか。
 クルーではない一時的な客が三人――あるいは二人と一匹?――ほど交ざっているが、コックの出す朝食に不満はなさそうで、それぞれの好みに合わせた皿を次々と空にしていっている。
 自分に供されたボリューム多めのカツサンドにかじりつきながら、ゾロは向かいに座った客の一人が握り飯を頬張るのを眺めた。
 皆で朝刊を覗き込んでいた時にはすでに朝食の準備は整っていたらしく、全員が食卓に揃う直前にコックは一人分だけ大急ぎで握り飯を作っていた。パンが嫌いだという七武海の男の分のサンドウィッチは当然のようにルフィの皿に追加され、代わりに握り飯の乗った皿が男の前に置かれることになる。
 飯櫃を開けるとき、コックが自分のほうへちらりと視線を投げたのが、ゾロにはもちろん分かった。口に出して言うわけもないが、――お前もおにぎりがいいなら作ってやるぜ? あくまでついで、だけどな!――というメッセージが籠もっていることに気づかないゾロではない。
 だがその問いかけにゾロは、軽く首を横に振って応えた。パンよりも米の飯が好みなのはゾロも同じだが、毎日あれやこれやと工夫を凝らして飽きのこないメニューの食事を用意するコックに、わざわざすでに整っている献立と違うものを作らせる必要もあるまい、と思う。
 お前の作る朝飯なら、パンだろうが米だろうが美味いに決まってるからな。―――というメッセージを籠めて返した無言の視線に、おそらく意味を正確に読み取ったコックが慌てたようにくるりとこちらに背を向けた。
 誰も気づかなかったに違いないそんなやり取りに満足して、ゾロは自分の皿に盛られた数種類のサンドウィッチを黙々と平らげたのだった。
 天気の良い朝、睡眠は足りて腹はくち、作戦会議はひと段落ついて各々のするべきことは定まり、間違いなく大きな騒動が起きるはずの島への上陸は近い。
 サーブされた食後のコーヒーに気分が緩むのは、至極無理からぬことではあっただろう。
「…さて、大事な話が終ったところで、ちょっと報告したいことがあります」
 だからクルー全員の前でコックがそう切り出した時も、ゾロはぼんやりと聞き流していたのである。
「なあに、サンジくん。おやつのメニューの発表?」
「いやいや、そんな重要なことでもないよ」
 でもまあ、できれば全員に聞いといて欲しかったから。そう続けて、コックは居ずまいを正した。

「―――おれと、そこのマリモは、今日から恋人同士になったんで。以後、そのつもりでよろしく」

 その台詞の後に食卓に落ちた沈黙が何十秒続いたか、正確に知っているのは何故か黙って壁のハト時計を眺めていた部外者の外科医だけだっただろう。
 永遠に続くかと思われた沈黙を破ったのは、やはり船長だった。
「なんだそーなのか! すげーなサンジ!」
「別に凄いことでもねぇが、まあありがとよ、船長」
 何が凄いのかさっぱり分からないがなんとなくまとまったように聞こえてしまうルフィの言葉に、凍りついたように固まっていた仲間たちも呆然としたままの顔をゆっくりと動かして、一斉にゾロに視線を向けた。
「………」
「………」
「……」
「…………」
「……ていうか」
「なんであんたが一番驚いた顔してんのよ、ゾロ?」

 一番驚いたからに決まっている。――と、最後まで固まったままのゾロが腹の中で答えても、彼らに伝わるはずもなかったのである。






 ―――そんなお話ならおやつの献立よりはずっと大事なことだから、二人できちんと話し合ってから改めて発表した方がいいと思うわ。
 さすがに大人な意見を述べてその場を収めたロビンの言いつけに従って、ゾロはコックと二人でダイニングに残された。―――言いつけに従ったのはコックの方であって、ゾロは単に呆然としている間に一人だけ取り残されたというほうが近いだろうか。気が付けば食卓についているのは自分だけになっていて、コックは大量の皿やカップをキッチンへと運んでいるところだったのだ。
 正直、何を話し合えというのか。完全に不意打ちだったコックの宣言に驚かされたままのゾロには、それを詰ればいいのか笑えばいいのかすら分からない。
 いや、まずは真意を問い質すべきなのか。
「なんでいきなり今日なんだ」
「ん?」
 鼻歌でも歌いそうな表情で食器を水につけていたコックが、くわえ煙草を揺らして顔を上げた。火はまだついていない。食器の始末が終わったら、ゆっくりと一服するつもりなのだろう。
「今日から、ってのは何だ。まだ早いんじゃねェか」
「え、そうか? もういいだろ、恋人同士で」
 ゾロにはむず痒くて口にもできないその言葉をあっさりとまた言ったコックは、むしろゾロの様子に不思議そうな顔をして見せた。
 もういいだろ、と言われても、まだ自分たちの間には、何があるわけでもない。突然そんな風に宣言されれば、困惑するのも当然と思うのだが。
 二年間の別離を経て、確かにゾロとサンジの関係性と距離感は、かなり変わった。
 二年前でも、それなりに分かり合っている部分はあったと思う。戦闘中でもそれ以外でも、ふとした瞬間に考えが通じ合ったり、お互いの意思が読み取れたりすることは多かった。だがそれはいつもほんの一瞬のことで、すぐに途切れて見失ってしまうような果敢ない感覚に過ぎなかった。
 そしてもちろん、お互いのことはただの仲間としてしか認識していなかった―――はずだった。
 だからシャボンディ諸島で再会した時には、お互いに驚愕することになったのだ。
 お互いを唯一無二の相手として思っていること、しかもそれがまるで目に見えて耳に聞こえるかのように明瞭に伝わり合っていることに。
 それが、二人とも身につけた覇気という能力のせいなのか、それとも別の理由があるのかは分からない。見聞色を発動してもコック以外の人間の考えまで読めるわけではないから、覇気のおかげだけでもないことは確かだが、二年前にはこれほどまでお互いの意識が伝わり合うことはなかったことを考えれば、この能力も全く無関係ではないのかもしれない。
 言葉にして告白しあうことさえ不要なほどだった。その時から確かにゾロはコックのことを、相思相愛の相手、と認識している。―――当然、コックの方も同様だろう。
 だが、いまだに二人の間には何もないのである。
「こ、…恋人、ってのは、もうちっと後の話だろう」
「お? 意外と順序にこだわる派かよ、クソマリモ?」
 面白そうに聞き返してくるが、コックの方こそそういうことにはこだわりそうに思えていたのに意外なのはこちらのほうだと言いたい。
 シャボンディ諸島からいくつかの島を越えてくる中でお互い憎からず思っていることは十分に分かったから、そろそろ次の段階に進んでも良いかとゾロも考えてはいた。すでに分かり切ったことではあってもきちんと言葉にしてお互いの感情を確認し合い、その次には相互理解を深めるための交際期間。これもとっくに双方の人間性はこれ以上なく理解し合っているつもりだが、省略して良いものではない。船上の仲間としてではなく交際相手としてお互いを見ることで、今までとは違った発見がないとは言い切れないからだ。
 交際期間を十分に過ごしたら、正式に将来を誓い合って、それから肉体交渉である。相手は嫁入りをする予定もないれっきとした男であるが、だからとて軽い気持ちで疵モノにしてよいわけもない。
 幸いにも自分たちは二人揃って同じ船長に行先を預けた同行の同士だ。長い時間をかけて、口幅ったい言い方ではあるが『愛を育んで』いく、その覚悟はあるつもりだった。
「―――お前はそれでいいのか」
 同じ覚悟と期待がコックの方にもあるものと思い込んでいたのだが、違ったのだろうか。
「…いや、うん。お前がそういうとこ、わりと古風なアタマだってことは分かってたんだよ」
 少し困ったような表情で、コックが視線を逸らす。
「でもみんなの前で言っちまえば、お前も引っ込みつかなくなるかな、って」
 ゾロにしてみればゆっくり時間をかけていくつもりのことでも、コックにとっては煮え切らない態度に思われていたのかもしれないということに、ゾロは初めて気付いた。
 思いあって理解し合っていると思い込んでいても、実際にはこんなすれ違いがある。通じ合っていると確信があっても、やはり言葉にして話し合わなければ食い違うばかりなのかもしれない。考古学者の意見は、さすがの年の功だ。
「…はじめから引っ込みなんかつくかよ」
 だが、自分の思いがそんなふうに外堀から埋めるような手を使わなければ固まらないような曖昧なものだと思われることは、心外ではある。
 あんな宣言などされる前から、とっくに遠い未来まで見据えた確実な思いなのだと、これからじっくり分からせてやる必要があるだろう。
 その決意が伝わったのか、逸らしていた目線をゾロへと戻したコックが肩を竦めて苦笑した。
「昼飯のときにみんなに謝らねぇとな。嘘ではないけど、びっくりさせてごめんって」
「おれにも謝れ、今」
 相当驚いたぞ、おれも。
 ゾロが憮然として言うと、はたはたと何度か瞬きをした後、カウンター越しにコックが身を乗り出してきて、小さく言う。
「ゴメンな、驚かせて。―――引いた?」
「おれは一歩も退かねェ」
 どん、と大きな書き文字を背負ったゾロの返答に、サンジは晴やかに破顔した。






「で、話は戻るが」
「ん?」
「なんで今日からなんだ。何かあったか?」
 シャボンディで再会した時から相思相愛であることはお互い伝わり合っていたのだから、見方によってはあの時からすでに恋人同士だったとも言えるし、逆にこれから関係が深まってから恋人同士になったと報告するのでもいいはずだ。
 なぜ特に今日を選んで「今日から恋人同士」と宣言するに至ったのか、ゾロには見当もつかない。何か記念日――たとえば誕生日に入籍したがるような類の――だったかとも思ったが、いくら考えても今日は何の変哲もない今日でしかなかった。
「うんまあ、確かにあった」
「何がだよ」
 にぃ、と楽しげに笑ったコックが、食卓に乗せられたままだった朝刊を指差した。
「広告欄、見てみろよ」
「…広告?」
 コックの笑顔に少々嫌な予感を覚えつつ、ゾロは新聞を開いた。普段新聞を読んだりはしないが、広告欄がどんなものかくらいは分かる。雑誌だの通販だのの宣伝に紛れて、尋ね人だの、暗号めいた伝言が小さく載せられている場所だ。
 ページの隅、見覚えのあるコック帽のマークが目に入る。
 それはコックがメリー号に乗り込んでくるとき、持ち込んだ新品の皿やグラスに、描かれていたマークによく似ていた。
「シャボンディから電報打ってたんだよな、おれ」
「…なんて?」
「アホ剣士とくっついちゃうことになりそうだぜ、的な?」
「……」
 文字だけでなく店のマークも載せているあたり、向こうも手馴れている。今回だけでなく、今までもこの方法で何度かやり取りしてきたのかもしれない。
 コックの実家ともいえるレストランからの伝言なのは、間違いなかった。

『Sへ S月道場から鰹節等九品受領 レストラン[B]』

「お前、故郷の地名しか覚えてないんだもんなぁ。でもバラティエの情報網は半端じゃねぇからな、ちゃんと探し当てて連絡取ってくれたみたいだ」
「………」
「カツオブシ貰ったってのは意味分かんねぇけど、悪い返事があったって感じじゃないし」
 だから、今日言っちゃっていいかなーって思って。悪びれることのないコックの言葉に、ああ確かに悪い返事じゃない、というかこれより良い返事ってあり得ねぇだろ、と思う。

(―――つーか先生、こいつの実家に結納品送ったのかよ…!)


 昼食の席ではコックからではなく自分から、恋人同士ではなく婚約者同士として仲間全員に報告をしなければならないな、と肚を括った古風な剣士なのであった。



終わっとく。





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