( 2012年6月大宴海のペーパーに書いたSS )


学生パラレルなSSペーパー
2012.6.24




『件名:お粥の作り方
 本文:っていうか、材料教えて』

 ナミのメールはいつでも簡潔だ。
 無駄な前置きも挨拶も一切ない。絵文字率は0%。一文字単位で料金に影響した時代の名残なのか、それともそもそも定額制にしていないのかは周囲の知るところではない――「定額制で利益が出せるのはその定額以下しか使ってないお客からも一定額を徴収できるからなのよ」と経済学の講義の後で話していたのを聞いたような聞かないような――が、おそらくそれがなかったとしても彼女がだらだらと長い文章を送ってくることはないだろう。
 なぜなら、彼女のモットーの一つは『時は金なり』だから。他愛もない挨拶文や絵文字を選んだり打ち込んだりするのに貴重な時間を費やすなど、ナミには思いもつかないに違いない。
 常に要件だけが修辞なしに示されたメールは、しかしサンジを(脳内で)空も飛べるほど幸せにした。

(―――やっぱりナミさんは最高の女神だぜ…!)

 夏掛け布団に頭まで潜って、ぐふぐふと笑う。頭の中身は春のお花畑に集う蝶々なみにふわふわ飛び回っているが、現実の身体は寝返りひとつ打つのも億劫なのがもどかしい。誰もいない自分の部屋でも、ナミに捧げるピルエットのひとつもくるりと披露したいところなのだが。
 しかし昨夜からどうやら下がっていない熱に体力を奪われきった今のサンジには、超高速でメールの返事を打つことくらいしかできない。

『件名:おかゆを作りに来てくれるなんて
 本文:ナミさんはなんて優しくて素晴らしくて心の美しい人なんだ!
お粥には特別な材料なんて必要なくて、お米と塩と、出汁からとるなら昆布と鰹節、面倒なら粉末のいりこだしとかでもいいけど、あとは卵でも入れれば最高だよー!
ところでなんでおれが寝込んでるって知ってるの?』

 ぽちぽちぽちと一気に打って、送信。
 携帯を枕元に置いて、ほへー、と熱っぽい息を吐き出した。体調を崩すことなんてめったにない――というかものごころついてからは一度もない――サンジにとって、慣れない体のだるさはかなりこたえる。体温計は持っていないので測っていないのだが、この熱はいったいどのくらい高いのだろうか。今まで想像したこともないくらいに辛いのだが。
 体温計がないついでに、もちろん薬などという大層なものもない。一人暮らしの男子学生の部屋に、体温計や常備薬などというものが揃っている割合は、どの程度だろうか? 台所には湿布と包帯ならそれなりにストックしてあるが、風邪薬なんてものは今まで必要性を考えたこともなかった。冷湿布を額に貼るのはさすがにまずかろうか。

 ―――でもそのおかげでナミさんがおかゆを作りに来てくれるんなら、万々歳だろ。にしてもすげぇなナミさん、おれ昨夜から寝込んでるとか誰にも知らせてないのに、なんで知ってんの。もしかしてエスパー? やっぱ美しいレディってのは特殊能力も兼ね備えてるもんなのか、それともこれは愛ゆえのテレパシー? 二人をつなぐ運命の赤い糸のなせる業?

 そんなことをぼんやり考えていると、ぴろりろりろん、と携帯が再度のメール着信を知らせた。

『件名:私は行かないけど
 本文:大人しく寝てなさい』

(―――そんなクールなナミさんも素敵だー!)
 どうやらナミがここに来てくれるわけではないらしい。
 お粥の材料を訊いてきたのはもしやナミの家族の誰かが寝込んででもいるのだろうか、大事ないといいのだが。
 てっきり自分のために作ってくれるのかと思い込んで浮かれた返事を返してしまったのは恥ずかしいが、熱で朦朧としているせいだということにして許してもらおう。
 大人しく寝てなさい、と言われて、これにまた返事を返してしまっては怒られてしまう。携帯を閉じると、サンジはもぞもぞと掛布団を掛け直した。
 しかし普段あまり昼寝などする習慣のないサンジには、体調が悪いとはいえ昨夜の早い時間から十六時間以上も横になり続けているのはそれ自体が苦痛だ。
 なのに、起きたくても起き上がれない。薬はないにしてもせめて何か腹に入れて体力を回復しなければ、とは思うのだが、布団から出ることすらできないのでは到底無理な話だった。
 起き上がれるくらいに熱が下がるまでは、寝ているしかない。だが眠くはならない。
 だるくて苦しいのに眠くならない、というのはなかなかの苦行である。一眠りして目を覚ませば今よりは楽になっていそうな気がするのに、意識が一向に眠りに落ちてくれない。

 ―――暇さえあれば寝てる誰かみたいなヤツなら、ぐーぐー寝まくってすっきり治せちまうんだろうけどなぁ。

 ふと思い出したのはしばらく前に知り合った同い年の男のことだった。
 知り合った、というか、懐かれた、というほうが近いような気がするのは、奴が妙に動物っぽいというか、獣めいた男だからだ。 
 サンジの住むアパートが大学から目と鼻の先にあるのをいいことに、週に数度も押しかけてくる。部活の朝練がある日の前夜はほとんど必ず来て勝手に泊っていくが、毛布の一枚も与えておけば文句も言わずに床で朝までぐっすりと寝ているからサンジに手間をかけさせることもなかった。
 部活は剣道部らしいのだが、サンジの部屋に陣取るようになってからは朝練への遅刻がなくなったと、本人ではなく部員たちからの感謝をサンジは受けている。三年生になってまさかとは思うのだが、自宅から大学まで、まっすぐ辿り着けないことがよくあるのだという。共通の友人であるナミの話では、生まれ育った自宅の最寄駅ですら、ホームに来る電車の行先や方向を把握できていないらしいというのだから、筋金入りだ。
 学部は同じだが取っている講義がほとんど重ならないその男と知り合うことになったのはたまたまだが、男の目にはサンジの住処は休憩所として魅力的に映ったのだろう。
 なにしろはじめのうちは、弁当持参で来ていたほどだった。
 いうまでもなく、その辺のコンビニかよくて弁当チェーン店で買ってきた弁当である。
 大学生であると同時に調理師志望でもあるサンジにとって、自室のテーブルで、自分の目の前で出来合いの弁当を食われるというのは、ほとんど拷問に近い体験だった。
 いや、コンビニ弁当はともかく弁当屋の弁当なら、目くじらを立てるほど悪いものではないことくらい、サンジにだって分かっている。最近はチェーン店であってもそれなりにまともな調理場を構えてきちんと作っているところも多く、味も素材もそれなりだったりするものだ。献立をちゃんと選べば、健康を維持するのに十分足るだろう。
 だが、広くはないがキッチン設備の充実を重視して借りた自分の部屋で、いかにも燃費が悪そうなガタイの同年代の男が、白い発泡スチロールの弁当パックをいくつも空にしていくのを見続けるのは、サンジには5日が限度だった。
『お前、次来る時からは食いもん持って来い』
『あ? ちゃんと持ってきてんだろーが』
『違ェよ、弁当じゃなくて食材持って来いって言ってんの』
『はぁ?』
 空の弁当パックを捨てようとしていた男に、サンジはそう命じたのである。
『食いたい飯の、材料を買って来いってことだよ。このへん、弁当屋も多いけど、スーパーもちゃんとあんだぜ』
『…メシの材料なんか、おれに分かるわけねェだろ』
『別に全部わかんなくたって、たとえば牛丼が食いたいときは牛肉買ってくる、とかでもいいよ。うちにある食材と合わせて作るから』
 それこそ想像もつかない提案だったのだろう、男は目を丸くしていた。
 訊けば育った家にも親を含めて料理をする人はおらず、食事とは店で作られたものを買ってくるのが普通だと子供の頃から思っていたという。
 今では大学からこの部屋へ来るたびに近所のスーパーか商店街に寄り、なにかしら食材を買ってくるようになった。食い物ってあんま高くないんだな、などとたまに不思議そうな顔をするが、出来合いや弁当の値段が基準だったなら当然のことだろう。
 カラアゲが食べたい、と言って冷凍の鶏を一羽まるごと買ってきたときにはどうしてやろうかと思ったが、そんな驚きも含めて、自分の部屋に入り浸っている男に食事を作って食わせることをサンジはわりと楽しんでいるのかもしれない。生きたニワトリを連れてこなかっただけましだった、ということにしてもいい。
(―――そういや、アイツには言ってあるんだっけ)
 寝込んでいることなど誰も知らない、というつもりだったが、あの男にだけは今朝言った気がする。
 熱で朦朧とはしていたのだが、明日が朝練のある日である奴は今夜は確実に来るはずで、食事を作ってやれそうにもないし、風邪だとしたらうつしてもまずいので、朝のうちに電話をして、来ないように言ったのだった。

   ぴんほーーーん。
   ドンドン。

 なのに、なぜ玄関のチャイムが鳴るのか。
 ぴんぽん、の後にドアを叩くのはあの男の習慣だ。ほぼ週五で来ているが合鍵を持たせているわけではないので、毎回ああやってチャイムを鳴らしてドアを叩く。
(―――ていうか、なんで来んの)
 メールを送ってもまめにチェックするような奴ではないことはよく知っているので、喉ががらがらなのをおしてわざわざ電話をして念押ししたのである。まさか今朝の電話の内容を、午後になったばかりのこの時間にすでに忘れているなんてことはあるまいが。

  どんどん、どん。ドンドンッ。

 ドアを叩く音はだんだん大きくなる。昼間とはいえ近所迷惑だチクショーめ、毒づきながらサンジはゆっくりと起き上った。途端に圧し掛かってきた鈍い頭痛に呻きつつ、這うようにして玄関に向かう。

「…来んなって言ったろーが」

 ゴゴゴゴゴ、とでも効果音の入りそうな声とともに開いたドアの向こうには、常と変らない様子の男が立っていた。
 片手にはいつものスーパーの袋をぶら下げている。いつものものに比べてやけに大きく、かなり重そうだが。

「おう」
「―――おう、じゃなくてな」
「とりあえず中入れろ、これ結構重い」

 これってなんだ、やっぱ食材か。お前はおれにメシ作らせんのか、今日、この状況で。
 何から言ってやるべきなのか悩んでしまって呆然と立っているサンジを押し込むようにして、男は部屋に入ってくるとそのまま台所に直行した。
 確かに相当重そうなビニール袋を、どっさ、と流し台に置く。その音で、サンジにはその中身の見当がついた。
「…―――おいゾロ」
「米と、塩と、あー、ダシがどうとかはさっぱり分からんかったから、りしりこんぶってのだけ買ったぞ。あ、あと、卵な」
「……」
「これで、粥できんだろ」
 一仕事成し遂げたような顔で、ゾロがサンジを見た。
「…やつれてんなぁ、オイ」
「…分かってんならお前ェ…」
「なんか足りないもんあるか? ナミに材料訊いたんだが、まだなにか足りないなら買ってくるぞ。やっぱりダシとかいうの、要るのか?」
「いや……」
「あと、ナミが薬買ってけって言ったから、これな」
 もう一つ小さな黄色いビニール袋に、小さな紙の箱が入っている。
「空きっ腹に飲むなって店の奴が言ってたからな。とりあえず、早く粥作れ」
「…えええええぇぇぇぇぇ…」

 やっぱりか、やっぱりおれが自分で作るのか。くらりと眩暈を覚えたのは熱が上がったせいか、それとも別の理由か。

「…お前…百歩譲って、おかゆならコンビニだってレトルトの売ってんだろーが…」
「コンビニの食いもんじゃダメだって、お前も言っただろ」
 立っていられなくなってベッドにへたり込んだサンジを見下ろして、ゾロが当然のように言う。

「具合が悪いんなら、力の付く食いもん食わねぇとだろ。お前の作ったメシが一番力が付くんだから、お前が作った粥を食え」
 そうすりゃすぐ治んだろーが。
 お前のメシが一番力が付くってのは、おれがよく知ってるからな。

 言って、流しの下の収納をごそごそ漁りだした。鍋がそこに仕舞ってあることを知っているらしいが、やはり自分で作るつもりではないようだ。
「ええぇぇぇ…なんだその殺し文句……」
 上半身を起こしている気力もなくなって、どっさりと布団に背中から倒れこみつつ、サンジは呟いた。
 いくらなんでも頭が悪すぎる。おれのメシが一番だからおれのメシを食えば治るって? こんな頭の悪い、しかも狙って言ったわけでもない殺し文句で墜ちるなんて、いくらなんでもおれのプライドが許さない。
 なのに。
「あ? 何か言ったか? つーか寝る前に粥作って食えって。んで、薬飲んで、寝るのはそれからにしろ」
「…―――あーーーーー……」

 たぶん、いまさらコンビニのレトルト粥でいいから買ってこいと言っても、ゾロは聞かないだろう。
 というかお前、おれに中華鍋で何を作らせるつもりだ。お粥を作るのにフライ返しは使わない。おれのキッチンを荒らすのはやめろ。

「…分かった。ていうか、おれが指示を出すから、お粥はお前が作ってくれ」
「あぁ? 何言ってんだ、おれがメシなんぞ作れるわけがねぇだろ」
「ちゃんと指示出すって言ってんだろ」
 粥一つ作るだけでも台所はおそらく大変な惨状になると予想はできたが、なんだか妙に覚悟の決まってしまったサンジだった。

 どんな出来になるか想像もつかない粥を食べて、薬を飲んで一眠りして、体調が戻った後でいろいろと考えたり片づけたりすればいい。



「おれのメシが一番お前の力になるんなら、お前の作ったメシもおれの力になるよ。きっと」


END





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